名前はアレだし音もアレだが内容はユルい

打首獄門同好会は2004年に結成されたスリーピースバンド。男性ギターヴォーカルと女性リズム隊という珍しい男女混合編成で活動中。7弦ギターと5弦ベースの織り成す重め攻め気なサウンドにして、やたらと生活感溢れるユルい歌詞を乗せた独得のスタイルが「生活密着型ラウドロック」という新たなジャンルを確立、誰もひとっつも予想していなかったくらいの躍進を遂げる。暴れん坊からお子様おじいちゃんまでファンの層は謎に幅広い。本人達にそんな狙いは別に無かったんだけど、結果的に幅広い。
 

歌詞はわりとノンフィクション

打首獄門同好会の歌詞を作っているのは主にギターヴォーカルの大澤敦史、ところが彼はギタリストから入ったギターヴォーカルのため、なにしろ憧れのシンガーとか歌詞への想いとかそういうトコをあまり通っていなかった。ある時に(ヴォーカルを探すのを諦めて)歌うと決めたはいいもの、さあ何を歌詞にしたものかと困った。その結果、半ば「なんでもいいや」的な気分からナチュラルにユルい路線の歌詞がスタートし、いつしか好きな食べ物やお菓子のテーマソングを勝手に作り、地元の電車や好きなテレビ番組に捧げる歌を勝手に作り、貧困や抜け毛の悩みやメタボの恐怖や風呂入って寝る喜びを歌うようになったのである。だが結果的に、これってある意味最も心をこめて歌える手法ではないか、と本人は気付く。そう、これらの歌詞は恋する乙女がラブソングを書いている手法となんら変わりなく、深層心理のドキュメント作品であり、ノンフィクションの集大成なのだ。そう自分に言い聞かせて今日もシュールな歌詞を書いている。
 

なんでこんな名前になったのか

このバンドで最も多い質問は「なんでこんなバンド名になったのか」である事に疑いの余地はない。それもそうだ、打首獄門を同じく好む会という名前にして「うまい棒!うまい棒!」と連呼し、米や魚を賛美する意味がわからない。そんな時、バンド側の模範解答としては「ほら、ステージもフロアもみんな頭振り乱して首痛めて帰るでしょう。みんなそんなライブが大好きって事なんですよ」という回答を用意していた時代もあったが、どうだろうこれもなかなか後付けにしては悪くない。しかし真相は、バンド結成時の名前考案会議にてドラム河本あす香が「なんか和風な名前がいい…たとえばチョンマゲトリオとか」と言い出し、なんとかチョンマゲトリオだけは避けねばならぬと焦った大澤敦史が「打首獄門同好会と、切腹愛護団体と、終生遠島協同組合、どれがいい」と初代ベーシスト高山明に詰め寄って決まっただけの話である。和風な名前と考えて、大澤家の親父さんがよく見ていた遠山の金さんの台詞から適当に引用しただけであって、そうとも意味はまったく無い。そんなわけでなんだかんだ気に入ってるっちゃ気に入ってる名前ではあるのだが、世間体的にコラボとかタイアップとかの話になった場合に案の定な展開で大きな壁になることはある。実際この名前でよくやってきたものだ。
 

歴史年表

2004年9月 現メンバーの大澤敦史、河本あす香と、初代ベース高山明の3人で結成。
2005年2月 初のデモ音源「デモ暮らしーVol.1」完成。
2005年4月 いきなり地上波初登場、テレビ東京「ぶちぬきロンブー」に出演。
2006年3月 デモ音源第2弾「デモ暮らしーVol.2」完成。
2006年3月 初代ベース高山明が「俺のバンドを作る!」という野心を抱き脱退。
2006年4月 知る人ぞ知るベーシスト・ジョニーと共に半年間活動。
2006年9月 初の自主企画「ジェットストリームアタック選手権」開催。
2006年11月 現ベースjunkoが加入、現在のメンバーになる。
2007年9月 デモ音源第3弾「デモ暮らしーVol.3」完成。
2007年9月 発売とあわせて「第弐回ジェットストリームアタック選手権」開催。
2008年3月 台湾3都市を巡るライブツアー「台湾暴走」に参加。
2008年5月 オムニバスアルバム「ORGASound Maniacs Vol.1」に1曲参加。
2008年6月 ホーム三軒茶屋ヘブンスドアにて、ライブ通算100回を達成。
2008年8月 自主企画「第参回ジェットストリームアタック選手権」開催。
2008年8月 オムニバスアルバム「MUZIC COMMUNICATION02」に1曲参加。
2009年3月 沖縄関連バンドを集めた自主企画「沖縄物騒展」を開催。
2009年5月 初の全国リリース作品「庶民派爆弾さん」を発売。
2009年7月 「フジロックフェスティバル’09」に出演。
2010年7月 初代ベース・高山明が密かに結婚。
2010年10月 「打首獄門同好会さんが猛烈に自己アピール中です。」発売。
2010年12月 三軒茶屋ヘブンスドアのカウントダウンライブで、ライブ通算200回達成。
2011年1月 「なわけで、それがし打首獄門同好会ですよろしくダカダダンジャーン」発売。
2011年4月 打首獄門同好会として初のワンマンライブを渋谷WWWで開催。
2011年10月 「石巻ロックフェス2011」に出演。
2012年1月 渋谷WWWにてバンド&VJをテーマにした企画「お歌詞祭りWWW」開催。
2012年5月 久しぶりに「第四回ジェットストリームアタック選手権」を開催。
2012年8月 台湾の野外フェス「BEASTIE ROCKFES2.0」に出演。
2012年10月 「獄門のすゝめ」発売。
2013年6月 2年ぶりのワンマンライブを渋谷O-WESTで開催。
2013年9月 「水曜どうでしょう祭 UNITE2013」に出演。
2013年10月 「一生同好会します」発売。
2014年4月 「COMIN’ KOBE 2014」に出演。
2014年8月 水曜どうでしょう東北キャラバンに参加。
2014年8月 結成10周年記念ベスト盤「10獄〜TENGOKU〜」発売。
2014年10月 結成10周年記念ワンマンライブを赤坂BLITZで開催。
2015年4月 マネージャー兼VJとして「VJサカムケ」が就任。
2015年4月 「COMIN’ KOBE 2015」に出演。
2015年5月 シングル「日本の米は世界一 / New Gingeration」発売。
2015年6月 「FREEDOM NAGOYA 2015」に出演。
2015年7月 「OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL VOL.6」に出演。
2015年7月 水曜どうでしょうキャラバン2015に参加。
2015年8月 「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2015 in EZO」に出演。
2015年11月 ミニアルバム「まだまだ新米」発売。
2016年2月 ワンマンライブをZepp Tokyoで開催。
2016年5月 日本テレビ「行列のできる法律相談所」に出演。
2016年6月 関西初ワンマンライブをumeda AKASOで開催。
2016年6月 ライブDVD/Blu-ray「Zepp Tokyo 2016」発売。
2016年6月 「FREEDOM NAGOYA 2016」に出演。
2016年7月 「OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL VOL.7」に出演。
2016年8月 「ROCK IN JAPAN FES.2016」に出演。
2016年8月 2ndシングル「島国DNA」発売。
2016年9月 「OSAKA HAZIKETEMAZARE FESTIVAL 2016」に出演。
2016年11月 北海道初ワンマンライブを札幌moleで開催。
2016年12月 「COUNTDOWN JAPAN 16-17」に出演。
2017年1月 ミニアルバム「やんごとなき世界」発売。
2017年3月 ワンマンライブを新木場Studio Coastで開催。
2017年3月 「目指せ武道館!!2017-2018 戦獄絵巻」発足。
2017年4月 「ARABAKI ROCK FEST.17」に出演。
2017年5月 「VIVA LA ROCK 2017」に出演。
2017年5月 「COMIN'KOBE 17」に出演。
2017年6月 マネージャー兼VJとして「VJ風乃海」が就任。
2017年6月 「百万石音楽祭2017〜ミリオンロックフェスティバル〜」に出演。
2017年6月 「SATANIC CARNIVAL'17」に出演。
2017年6月 「FREEDOM NAGOYA 2017」に出演。
2017年7月 「京都大作戦2017」に出演。
2017年7月 シングル「夏盤」を発売。
2017年7月 「MURO FESTIVAL 2017」に出演。
2017年7月 「OGA NAMAHAGE ROCKFES VOL.8」に出演。
2017年8月 「ROCK IN JAPAN FES.2017」に出演。
2017年8月 「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO」に出演。
2017年8月 「WILD BUNCH FEST.2017」に出演。
2017年8月 「TRIANGLE'17」に出演。
2017年9月 「OTODAMA'17〜音泉魂〜」に出演。
2017年9月 「風とロック芋煮会2017」に出演。
2017年9月 「MASTER COLISEUM '17 NEO」に出演。
2017年9月 「山人音楽祭 2017」に出演。
2017年10月 「マグロック2017」に出演。
2017年10月 シングル「秋盤」を発売。
2017年12月 「ポルノ超特急2017」に出演。
2017年12月 「COUNTDOWN JAPAN 17-18」に出演。
2018年1月 シングル「冬盤」を発売。
2018年3月 日本武道館ワンマンライブを開催。会場&通販限定でシングル「春盤」を発売。
2018年7月 東名阪で「ついに対バンツアー」を開催。
2018年通年 もはや書ききれないくらいのフェスに出演し始め、ここへの記載を諦める。
2018年10月 VJサカムケが事務所退職に伴い、VJ職を卒業。
2018年10月 大澤会長「浜松市やらまいか大使」に就任。
2018年12月 「junkoさんお誕生日会」において還暦祝いを実施。
2019年3月 結成15周年記念「獄至十五」計画を始動、47都道府県「獄至十五ツアー」開始。
2019年3月 ミニアルバム「そろそろ中堅」を発売。
2019年5月 農林水産大臣より「FANバサダー ROCK」に任命される。
2019年8月 はごろもフーズ「シャキッと!コーン」CMの制作を担当。
2019年9月 結成15周年ベストアルバム「獄至十五」発売。
2020年1月 初のワンマンツアー「獄至十五ファイナルワンマンツアー」開催。
2020年2月 ツアーファイナルが新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。
2020年2月 代わりにファイナル予定だったZepp Tokyoにて無観客配信ライブを開催。
2020年3月 「サンボマスター究極トリビュート ラブ フロム ナカマ」に参加。
2020年11月 ミニアルバム「2020」発売。
2020年11月 「新型コロナウイルスが憎いツアー」開催。
2021年1月 ツアーファイナルが新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。
2021年3月 「新型コロナウイルスが憎いツアー2021」開催。
2021年4月 3曲入りシングル「こんなバンド名だけどいいんですか」発売。
2021年5月 ツアーファイナルが新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。
2021年9月 河本あす香がバセドウ病のためドラム休養を発表。あわせて静養ブースで活動開始を発表。
2022年3月 氣志團トリビュートアルバム「All Night Carnival」に参加。
2022年4月 レキシと「鬼の副長HIZIKATA feat. ぼく、獄門くん」でコラボレーション。
2022年4月 河本あす香がめでたくドラムに復帰。あわせて惜しまれつつ静養ブースでの活動を終了。
2022年8月 PILOTとのコラボ企画「PILOT STORY」を配信。
2022年8月 配信シングル「死亡フラグを立てないで」リリース。
2022年8月 配信シングル「地味な生活」をリリース。
2022年8月 「新型コロナウイルスが憎いツアー2022」開催。
2022年9月 しまじろうのわお!10周年企画「うたダンスフェス」において「カンガルーはどこに行ったのか」が人気投票1位を獲得。
2022年12月 「新型コロナウイルスが憎いツアー」ファイナル「新型コロナウイルスが憎かった」開催。
2023年1月 マクドナルドTV CMに「布団の中から出たくない」が楽曲使用。
2023年5月 ライブDVD/Blu-ray「新型コロナウイルスが憎かった」発売。
2023年5月 関ジャニ∞に「ハライッパイ」楽曲提供。
2023年7月 「北海道ツアー」開催。
2023年7月 配信シングル「なぜ今日天気が悪い」リリース。
2024年1月 結成20周年記念「20!+39!=59!」計画を始動、47都道府県「20!+39!=59! TOUR」開催。
2024年1月 フルアルバム「ぼちぼちベテラン」リリース。
2024年1月 今後、海外では「GOKUMON」名義で活動していく旨を発表。
2024年3月 アメリカ5公演の「GOKUMON × BDC US Tour」開催。
2024年6月 配信シングル「BUNBUN SUIBUN」リリース。
2024年6月 ポカリスエットTV CMに「BUNBUN SUIBUN」が楽曲使用。
2024年7月 配信シングル「カモン栄一」リリース。
2024年7月 3曲入りシングル「まだまだがんばるベテラン」リリース。
2024年8月 THE ALFEEトリビュート・アルバム「五十年祭」に参加。


 

同好会の長だから「会長」

通称「会長」。同好会の長だから。長らしく、主要任務のギター・歌のほか、作詞、作曲、MC、打ち上げ参加担当、レコーディング、ミックス、サイト運営、デザイン、ライブ出演交渉窓口、電子、木工、動画編集など手広く担当しすぎてきたが、結果さすがに音楽に集中したくなって色々他人に任せたくなる。しかし結局そういう所は上手くいかずに相変わらず色々やっている人生を続けている。多くの歌詞がほぼノンフィクションとされる打首獄門同好会の作詞を担当している事からもわかる通り、あの食べ物にハマったのも、虫歯や肥満や抜け毛が気になったのも、貧乏を嘆いていたのも、南武線沿いに住んでいたのも、結局ラーメンばっかり食べてるのも、うまい棒もよく食べてるのも、はたらきたくなかったのも、だいたいこの人。

もう普通のギターには戻れない

中高生時代はいわゆるHR/HMの世界にどっぷり浸かっていたギターキッズ。なだけあって、ギタープレイの方向性としてはパワーコード多用のメタル寄りな性格。しかし20歳前後にジャズやフュージョンなど異なるジャンルの人々と触れ合う機会に恵まれ、雑多な引き出しも広く浅く持つようになった。と、そんな経緯上へヴィラウド一辺倒に行くのもアレかと多くの局面に幅広く対応できる「7弦ギター」をメインギターに選定、打首獄門同好会でもほとんどの曲が7弦ギターではないと弾けない曲になってしまっている。もはや普通のギターには戻れない。自分の選択は正しかったのか時々自信が無くなる。
ちなみにヴォーカルは「ヴォーカリストが見つからなかった」という理由でぬるっと始めたので、打首獄門同好会の歴史=ヴォーカル歴。そんな動機も志も浅かったクセにすっかり大勢の人に聴いてもらう立場になってしまったもんだから、未だに内心焦っている。人生、軽はずみな行動がどんな結果になるかわからない。これを読んでいる人も気をつけた方がいい。


 

直感型のアナログ派

瀬戸内海のとある島の出身という、出身地の話題だけで飲み会10分は話を引き込めるステキな素性の女ドラマー。打首結成時からのオリジナルメンバーとしてやはり主要な役割をこなすが、大澤会長をデジタル担当とするならばこっちはアナログ担当。大澤会長を理論型とするならばこっちは直感型。手作り小物を設計図無しでいきなり布にハサミを入れる大胆極まりない手法で、オリジナリティ溢れるアイテムを目分量で次々と生み出している。一時期は大澤会長からmixiコミュニティの管理、物販管理、練習スケジュール管理、ライブ中の告知MCなどを押しつけられて多忙になったが、近年はおおよその役割を手放してマイペースに過ごしている。猫が好きなのはこの人。
 

瀬戸内海の生んだパワードラマー

曲がりなりにもへヴィサウンドを自負する打首獄門同好会にして、縁の下の力持ちたるべき、というか実際にパワーを問われそうなドラマーが女性というのはいかがなものか、と心配されてしまいがちだがところがどっこい、打首のあす香さんと言えばけっこうなパワードラマーとしてPAや同業者にも定評があるのですよ。そう、ドラマーのスタイルとしては出音命、シンプルなフレーズをカッコ良く叩くスタイルを信条としているのだが、打首ではやたらややこしいリズムワークを課せられている上に歌も歌えと無茶を言われて苦労の日々を送ってきた。もはや「歌いながら叩くドラマー」というポジションでわりと良い感じに評価され、業界でも名を馳せてきており、その仕事っぷりにドラマー仲間から若干引かれる始末。人生、成り行きでどうなるかわからない。


 

アトラクション担当

ステージに立った時のインパクトとは裏腹に、ステージを降りるとなんだ意外とおっとりして…と思いきや、プライベートを紐解くとやはりそれなりにインパクトの強い事象が多い。夕陽と海をこよなく愛するまではわかるとして、しかし休日に海に出かけては何をするでもなくビーチに1日中たたずんでいたり、辛い食べ物が好きなのはわかるとして、しかしグリーンカレーに「デスソース」を入れすぎてもはや緑から赤に変貌しているのを普通に食べていたり、ごくナチュラルにさりげなく一般的な感覚を超越しがち。時にライブ予定がほぼ決定している日程に海外旅行を入れるという自由人行動も見られ、この現象は打首関係者には「失踪」と名付けられた。ちなみにjunko手作りカレーがライブイベントで振る舞われる時は、フードではなく「アトラクション」というジャンルで提供される。
 

色々インパクト担当

ステージに立つともう、とにかく、目立つ。腰までのびたストレートヘアーを時にライブハウスの天井に引っ掛かるまでに振り乱し、ベースを装着するストラップはよく見れば自作のガチ鎖仕様でジャラジャラ言わせてるなど、とにかく圧倒的に目立つ。いつしか打首獄門同好会のライブに通うようになった常連客がこぞってベース側に陣取るようになって反対側の大澤会長が密かに物悲しい思いをするほどに、目立つ。それでいて5弦ベースで乱暴なサウンドをしこたまぶつけ、おまけに足元にワーミーペダルという飛び道具を備えていてそれを踏んだらまたウィーンとか言って、目立つ。
なお2018年の12月20日に開催された「junkoさんお誕生日会」で「還暦を迎えた」事実を発表。バンド界に激震が走る。周囲からすっかり30〜40くらいとばかり思われていたのに、50代通り越して実は60代に突入していたとは、人生ってわからない。以降、色々な人に敬われたり面白がられたりしている。とにかく人生レベルで目立つ。


 

事務所の社員さん

VJとはビデオジョッキーの略。要はライブでの映像担当である。打首獄門同好会のVJという役職は、そもそもメンバーのバンド仲間であった初代「VJナマハゲ」が「パソコン詳しいしやってみてくれない?ええとホラ、アレだパワポでいいと思うw」という雑なノリで頼まれた事で発足した。ただそのVJという武器に宿るあまりな破壊力を高く評価した当時の所属事務所LD&Kのマネージャーは「どこでもVJをできるように」という目的でVJ職継承を決意、そんなこんなで2代目「VJハタケ」が誕生する。以後、3代目「VJブラッド」4代目「VJ下関親方」5代目「VJサカムケ」と事務所社員がその意志を引き継ぎ続け、6代目「VJ風乃海」の手へと委ねられた。なお、未だ歴代VJも複数名が事務所に在籍しており、何かしら特殊な事態でヘルプを頼まれることもある。なにげに層が厚い。
 

6代目VJ風乃海

2017年現在、VJは6代目「VJ風乃海」が担当。就任当初は5代目「VJサカムケ」と2人体制で共同作業を行なっていたが、VJサカムケ引退後は2人で行なっていた作業を1人でこなすという荒技を身につけた。次第にその活動フィールドはVJ業務に留まらず、インターネット番組「10獄放送局」では北海道横断企画に同行させられたり、しまいにはミュージックビデオの主役っぽい役柄で出演させられたりしている。VJとは。そんな彼のがんばりに応えるべく、バンドとしては引き続き所属事務所に対し、彼の能力と実績への高い評価とそれに相応しい給与UPを求めていく次第である。